安田国継 ~織田信長を槍で突き、森蘭丸を討ち取った男~
日本史の実行犯 「あの方を斬ったの…それがしです」
「待て!森蘭丸を見知りたるか!」
信長の危機を察知した蘭丸が、国継の行く手を阻みました。蘭丸が懸命に突きだした十文字槍によって、国継は股に槍を受けて負傷してしまいます。しかし、国継は蘭丸の槍の穂先を掴み、屋敷の縁側から引きずり下ろします。そして、蘭丸が態勢を崩したところを、国継は下から刀で突きました。
「森蘭丸、討ち取ったり!」
蘭丸を討ち取った国継は、信長の首を取りに向かおうとしますが、既に信長は燃え盛る屋敷の奥へ姿を消していました。
「信長公!返させ給へー!!!」
国継が二度と信長の姿を目にすることはありませんでした。『信長公記』によると、戦闘中に肘に槍傷を負った信長は最期の姿を見せまいと、屋敷の奥深くに入り、自害して果てたと言われています。
その後「山崎の戦い」で光秀が秀吉に敗れて主家の明智家が滅亡すると、秀吉からの探索を逃れるため、国継は名を「天野源右衛門(あまの・げんえもん)」と改めます。そして、森長可(ながよし:蘭丸の兄)や羽柴秀勝(信長の四男)、蒲生氏郷(信長の婿)などに仕えますが、各大名家で問題を起こし、出仕と出奔を繰り返してしまいます。
それでも大名からの仕官の話は尽きず、九州へ渡り、武勇で知られる柳河(福岡県柳川市)の大名・立花宗茂に仕えました。宗茂の家臣として「朝鮮出兵」などに従軍しますが、立花家の譜代家臣といさかいを起こして、再び出奔することになってしまいました。